約束の場所へ
むた (2005/10/16(Sun) 12:06:36)
「さくら、さくら、今咲き誇る
静かに散りゆく運命としても♪」
(森山直太朗「さくら」より)
第1章 絶望
イタリアは窮地に立たされていた。大会に向かう空港で首相に「優勝しなければ国から追放だ。」と言われたのはたちの悪い冗談であろうが、イタリア代表監督アリゴ=サッキは国外逃亡さえ考えねばならないほど今や追い詰められていた。
第1戦、アイルランドに1−0で敗れた。第2戦、ノルウェーに勝ったものの、あろうことかカテナチオ(錠前)と称されるディフェンスの要フランコ・バレージが後半開始早々、怪我で退場してしまったのだ。頼りになるベテランも次々に脱落し、今やエースのロベルト・バッジョまでが古傷のひざを引きずるようにして戦っていた。むしろ状況は敗北したことよりも深刻だった。バレージの怪我は重症で全治3週間と診断された。追い詰められたイタリアの監督に出来ることは頭を抱えることだけであった・・・ように見えた。
だが、絶望の中で一つの物語が進行していた。病院で怪我をしてベッドに横たわるバレージに、傷だらけのエースで親友のロベルト・バッジョがあることを言った。それは約束であった。
第2章 カテナチオは閉じられる
ディフェンスの要にして若手の多いチームの中で精神的支柱となっていたフランコ・バレージの負傷により、責任は一人の男の肩にのしかかる。その男の名はパオロ・マルディーニ。まだ24歳の彼はディフェンスラインの中央に立つことからも、またその頑強な肉体と若さからもバレージの穴埋めを要求される。彼はこれについてこのような言い回しで答えた。
「カテナチオは破られない。フォワードはゴールだけ見ていればいい。」
彼はその言葉を命がけで果たした。イタリアの地味な、だが確かな進撃が始まった。メキシコ戦を1−1で乗り切り、辛うじてグループリーグを突破する(なんとグループEは全チームが勝ち点4で並んでいる)とナイジェリア戦を2−1、スペイン戦を2−1、ブルガリア戦を2−1と全て同じスコアでクリアする。
バッジョも泣き言を言わずに自らの役目を果たす。ナイジェリア戦は前半に先制点を許すも、試合終了ラスト2分のところで同点ゴールを上げる。そして延長戦前半10分に決勝ゴールを上げる。続くスペイン戦でもラスト3分で決勝ゴールを決め、ブルガリア戦では前半に2得点を挙げ試合を決定付けた。
「俺につなげ!」
彼は試合中何度も声を上げたと言われている。
第3章 王国は牙を磨ぐ
一方、反対側からは90年、アルゼンチンを一方的に攻めながらワンチャンスを物にされ敗北したブラジルがいた。彼らは、だが、四年間を待ち続けていた。
「4年間私が批判されない日はなかった。」
とキャプテンのドゥンガは告白している。だが彼はそれに対し反論も泣き言も言わなかった。
「あのように理知的な行動は彼にしか出来ない」とジーコは褒め称えた。彼らはただ、勝利だけを渇望していた。それはタファレル、ベベット、ロマーリオ、マルシオ・サントス他全ての選手の思いであった。破天荒なロマーリオでさえコメントを極力封印した。王国の主たちが一丸になった。ベベットのゆりかごパフォーマンスに象徴される優等生ぶりの裏に牙を隠し、王国は名実ともに王者にならんとしていた。7月4日にアメリカとの決勝トーナメントを皮切りに彼らは着実にコマを進めていった。
両国がまみえるときが刻一刻と近づいていった。
第3章 7月17日
その日もローズボールは快晴であった。雲ひとつない好天に40度を越える気温の中、8万5千を越える大観衆がスタジアムに詰めかけ、スコアボードの上にまで観客が乗るほどの盛況であった。
彼らの胸は躍っていた。その年メジャーリーグがストライキのため中止になっていた分アメリカの観客はこの一ヶ月間にエネルギーを燃焼してきたのだ。
いよいよ両チームの入場する。いつものように場内放送が流れる。特別な内容は何もなかった。だが、ある部分にくると8万5千を越える観客が一斉に立ち上がった。試合前のスタンディングオベーション。それはバッジョとバレージ、二人の約束が守られた瞬間であった。
問題:観客はどのような場内放送でスタンディングオベーションをしたのか、またバッジョとバレージの約束とは何だったのだろうか。
ぱぷわ〜 (2005/10/16(Sun) 17:57:01)
どーも。
場内放送
「負傷、長期離脱していたフランコ・バレージ選手が
決勝戦に出場することになりました。」?
約束
バッジョ
「俺たちは必ず勝ち進んで7月17日のローズボールで
お前とプレーする。」
バレージ
「俺は必ず7月17日のローズボールのピッチに立つ。」
そういえばバッジョのあのPKは思い出しますね。
ちなみに、メキシコ大会のジーコ(プラティ二率いる
対フランス)の似たようなPKも思い出しますね〜。
むた (2005/10/16(Sun) 18:10:26)
内容はあってますので正解とします。実際にはメンバー紹介の場内放送が「ディフェンダー、フランコ・バレージ」と言った瞬間に起こりました。アメリカのファンのやさしさを感じる一瞬でした。では解答編に。
むた (2005/10/16(Sun) 18:27:43)
「ディフェンダー、フランコ・バレージ」場内放送が響くローズボールの会場の中観客はスタンディングオベーションで彼を向かいいれた。二人は病院で約束した。
「一緒に決勝のピッチに立とう。」
それはまた、若手の多いチームにとってはエベレスト登山のような困難事であったはずだ。だがマルディーニを初め若手たちは、この日を実現して見せた。準決勝でマルディーニは勝利が決まった瞬間、バッジョの横でジグを踊り狂うくらいに喜んでいた(バッジョの写真集にこの写真が収められている)。彼らにかかってきたストレスが偲ばれるシーンである。
40度を越えるピッチは後に「真昼の決闘」といわれるほど過酷なものであった。彼らは決め手のないまま時間だけが過ぎていく。そして90年足を負傷したマラドーナにしてやられた記憶が残っていたせいか、ドゥンガはバッジョにボールがまわると過剰なほど反応していく。さえぎるもののない陽射しは容赦なく彼らを襲う。気づくと120分が過ぎていた。スコアレスドロー(0−0)。動きが鈍くなったことを差し引いてもバレージは役目を果たしたと言えるだろう。偉大なるカテナチオは健在であった。
PK戦、決勝で初めて行なわれるこの手続きのために、94年の優勝はいまだに批判されることも多い。だが、その精神力をこそ称えるべきであろう。ブラジルは3人がきっちりと決め、イタリアは最後のキッカー、バッジョが怪我でバランスを崩しあさっての方向にボールを飛ばした。勝負はついた。この試合を見たものにとって永遠に忘れられないシーンである。
FIFAの94年アメリカワールドカップのフォトギャラリーには首から銀メダルをかけて肩を組みながらうつろに微笑むバッジョとバレージの写真が収められている。二人は約束を果たした。だが、夢は果たせなかった。
※ 問題中に使用されている人名、地域名、会社名、組織名、製品名、イベントなどは架空のものであり、実在に存在するものを示すものではありません。