十人十色はなしですよ。
タブー (2003/06/14(Sat) 18:21:13)
皆さんは無宗教についてどう思いますか?
蒼鉛 (2003/06/14(Sat) 19:18:19)
別段良いのでは……
人間はいつも足元が不安定ですから
安定している(少なくともそう思っている)物が欲しい
それが政治だったり金銭だったり宗教だったりするのだと私は思います
(信者の方々は心が弱いと言っている訳ではありません、念のため)
ですから、不安定を感じない人には必要無いのではないでしょうか
全く見当はずれの答だったら恥ずかしいなぁ^^;
あ、ちなみに私は無神論者、不崇主義です
ロッキー (2003/06/14(Sat) 19:39:42)
少なくとも、神学的思想教育していない国では無宗教者が多くなるのは確実ですね。
例えば日本です。
ちなみに僕はノイローゼになっても宗教には頼りませんでした。僕は無神論者です。
nak (2003/06/14(Sat) 19:37:24)
「日本人は、多宗教です。」とかって議論されそうです。
多宗教の話ですが、「八百万(やおよろず)の神々がいる」日本ならでわですよね、
これも一つの宗教だと思います。
特定の宗教を教えておられる方々にしてみれば、全知全能であるからこそ
神なのであって、学問の神(逆を言えば、学問しか出来ない神)等は
それは、神ではないといいます。 心狭いですよね。。。
八百万の神々がいる事を一つの宗教としてきた日本だからこそ、
「おぅ!、今日は、キリストつう偉い神さんが、生まれた日なんだってなぁ
キリスト教の人たちは、クリスマスっつって祝ってあげてるそぉじゃねぇか
なんといっても、めでてぇ、神さんの誕生日だ、俺も祝ってあげなきゃな!!」
なんて、いきな考えができて、いいんじゃないですか?
本当の意味の無宗教の場合、 死んだら、お墓はどうするんだろうと疑問ですが。。。
KIU (2003/06/14(Sat) 20:32:48)
自分としては無宗教は素晴らしい思想だと思います。とりあえず、来世や死後の為に頑張るというものがありますが、今を諦めているようで嫌です。それが今における精進に繋がっているのなら、それはいいことだと思いますけど。
今の日本はオウムのトラウマで、宗教に畏怖を覚えていますね。ただ信仰している宗教があると、それが人生の指標になるので、迷いがある程度解消されると思います。
とりあえず無宗教且つ無神論者として言いたいことは、『人命より尊い神などいるはずが無い』ということ。宗教を戦争の理由にしないでほしいです。そもそも、他の宗教を赦さないだとか、神の為に戦えだとか、そういうことを言う輩は『神』の称号には相応しくないと思います。絶対者であっても聖人君子で無い限りは、それは神ではなく暴君です。あ、破壊神は神だと思います。但しここで言う破壊神は、生まれ変わる為の清き破壊を行う神のことですが。
むた (2003/06/14(Sat) 20:38:28)
僕は苦しいときの神頼み、ですね。で、のどもと過ぎたら熱さ忘れるで。
そういえば「コナン・ザ・グレート」で愉快なセリフがありました。
「神よ。今日手柄が立てられなければ天国から落っことしてやる!」
もはや脅迫です。コナンの守り神なんて神様も楽じゃありませんな。
葉蔵 (2003/06/14(Sat) 22:05:30)
「無宗教」を論ずるためには「宗教」を論じる必要があります。
概念として構築された「宗教」を持たないことが「無宗教」です。
ですからまずは「宗教」を概念として成立させないと是も非も僕には言えません。
それなくして話を展開すれば「無宗教という宗教」という考え方も成り立ってしまうのです。さらに言えば、「宗教を必要としない自分を信仰する宗教」なども成立可能です。
「無宗教についてどう思うか」という問に対してのぼくの回答は上記のようなものになります。
ロッキー (2003/06/15(Sun) 00:20:41)
葉蔵さんのような意見もあるので参考までに。
僕の持っている辞書による定義では、
【宗教】=神仏または何らかの超越的絶対者を信仰して人間生活の究極的な意味を明らかにしようとし、
なぐさめ・安心・幸福を得ようとすること。また、そのための教え。
これをしなければ無宗教ということでしょうか。
僕は神はいないと思います。
(もしくは神はいても人間に無関心。それはほぼいないも同然)
ここで言う神とはもちろん全知全能の神とか、とにかく救いの神・宇宙の守護者です。
KIUさんの意見と似ていますが、
神は自ら戦争を実力で抑止しない。
神は(人種・性別その他)差別を黙認している。
神は人間にだけ道具・技術の知能を与えたにもかかわらず、
科学技術・医療技術を発展させ人口増加で貧民・餓死者を出すのを容認し、
自然破壊のツケを人類絶滅(?)と言う形で責任を取らせようとしている。
絶滅危惧種を生態系が崩壊しないように救ったりもしない。
切りがないですが以上のような理由から僕は「救いの神」はいないと思います。
それでも苦しいときの神頼みや神社でお祈りをしますがそれは気休め、慣行です。
結局
>何らかの超越的絶対者を信仰して人間生活の究極的な意味を明らかにしようとし、
>なぐさめ・安心・幸福を得ようとする
ここが宗教の本質でしょう。
決して悪いことではないと思います。
不崇主義者は無理かもしれませんが無神論者は可能です。仏がいるから(笑)
心療科に行く代わりに宗教を心の支えにして表面上普通の生活を送る人、
宗教が信じられなくて心療科で統合失調症の診断になっちゃう人、
どちらもお金を払うのは一緒ですしどちらがいいとも言えません。
何か無宗教についての議論になってないなあ・・・。支離滅裂ですみません。
葉蔵 (2003/06/15(Sun) 02:16:32)
ロッキーさんの「辞書」での定義による「神」では、人間は神を認知できえないことになります。
すなわち、「超越的絶対者」である存在は「超越的絶対者」ではない「人間」には認知できない。故に、人間は「超越的絶対者」を否定できない。「超越的絶対者」が「神」であるとするならば、「神」の存在是非は認知できないわけです。人間が「神」たる「超越的絶対者」を認識するためには「超越」と「絶対」である必然なりが不可欠だからです。すると、「超越的絶対者」を「信仰」するというのは形骸化された念にすぎないわけです。こうした観念から「神」が人間的には否定され、「無宗教」たるわけです。
もう少し具体的にいえば・・・
「神は自ら戦争を実力で抑止しない。
神は(人種・性別その他)差別を黙認している。
神は人間にだけ道具・技術の知能を与えたにもかかわらず、
科学技術・医療技術を発展させ人口増加で貧民・餓死者を出すのを容認し、
自然破壊のツケを人類絶滅(?)と言う形で責任を取らせようとしている。
絶滅危惧種を生態系が崩壊しないように救ったりもしない。」
上記は「超越的絶対者ではない人間」の認識であって、「超越的絶対者」の否定にはならないということです。神が「超越的絶対者」であるという定義では、その存在の是非を問うこと自体が意味をなさないのです。「超越的絶対者」という存在自体が人間に認知・認識できない以上、「無宗教」であることは当然の帰結であると思うのです。
以上は、「神」などの「宗教」の対象が「超越的絶対者」であるという観念に立脚しての絶対的な僕の解釈です。
ロッキー (2003/06/15(Sun) 04:48:46)
僕の「辞書」での定義による「神」では、
【神】=?@人知を超えてすぐれた能力を持ち、人に禍福を与える存在。尊いものとして宗教的信仰の対象となる。特に、キリスト教、神道の神。?A略?B略?C略
となってます。
人知を超えてるんだから「神」≒「超越的絶対者」で、
人間には認知できないんでしょう。そこはおっしゃる通り。
しかし葉蔵さん、勘違いされてるのかもしれませんが、
僕はみなさんへの参考資料を提供しただけですよ。
正しい定義について辞書を引くのが面倒くさい方もおられるはず。
実際、葉蔵さんご自身も「宗教という概念を論ずる必要がある」と提唱しておきつつ、
その後辞書を紐解いてみましたか?見るつもりでしたか?
論議の中心になりそうだったので勝手ながら書いただけです。
批判と受けとったならそっちの勝手、こちらが批判と受けとったのもこっちの勝手。
↓
>葉蔵さんのような意見もあるので参考までに。
>僕の持っている辞書による定義では、
>【宗教】=神仏または何らかの超越的絶対者を信仰して人間生活の究極的な意味を明らかにしようとし、
>なぐさめ・安心・幸福を得ようとすること。また、そのための教え。
>これをしなければ無宗教ということでしょうか。
↑
ここまでで「概念理解による無宗教」の自分なりの理解は終わらせて、
後は自分の意見のつもりだったんですがねえ。
理解されていないことがお気に召しませんでしたか?
>以上は、「神」などの「宗教」の対象が「超越的絶対者」であるという観念に立脚しての絶対的な僕の解釈です。
これは僕の辞書が広島の教育現場並に偏向しているとでも仰っているんですか?
それとも逃げ口上ですか?
では広辞苑にしましょう。
【宗教】
神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系。
帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教、特定の民族が信仰する民族宗教、世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教など、多種多様。
多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形でもつ。
【神】
?@人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
?A日本の神話に登場する人格神。
?B最高の支配者。天皇。
?C神社などに奉祀される霊。
?D人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。ア雷。なるかみ。イ虎・狼・蛇など。
?Eキリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。天帝。
長いですね。ここでも同じ事がかかれていますよ。
今度は禍福をもたらすとあるじゃないかと突っ込みますか?
それは天候とか天変地異の畏怖でしょう。
僕は
>ここで言う神とはもちろん全知全能の神とか、とにかく救いの神・宇宙の守護者です。
救いの神だと何度も言ってますよ。
>上記は「超越的絶対者ではない人間」の認識であって、「超越的絶対者」の否定にはならないということです。
だったら確認させて欲しいことがあります。
神学的思想教育していない国では無宗教者が多くなるのは確実云々と書きました。
逆を言えばキリスト教やイスラム教や仏教が土着しているのはなぜか。
キリスト教圏の人は臨死体験で「三途の川を見た」とは言いません。
葉蔵さん、神学的思想教育≒洗脳と理解してよろしいですか?
だって認知・認識できないものを否定できないのに信仰している。
認識できないから、「神」の存在証明もできない。ということは信仰に理由がない。
つまり押し付けられた迷信・盲信と受け取ってよろしいのでしょうか。
「神的存在の画像に触発された心理的錯覚」として告発された、
異端者ジャンヌ・ダルクよりもタチの悪い正常なのが一般信仰者ですか。
世界中に洗脳された犠牲者がはびこってるんですか。
無宗教者だけがそれから逃れたというのですか?
>すると、「超越的絶対者」を「信仰」するというのは形骸化された念にすぎないわけです。
とおっしゃっているんですから。
なぜこんなにたくさん世界中のキリスト教信者は神の奇跡と証明できないのに、
「私は神の子だ」と典型的な精神分裂病の症状を呈するイエスを信じているのか?
それは理由もなく子供のうちに洗脳してるということですか。
アレフ(元オウム)も1000年したら日本の国教になりますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
とにかく僕が言ったのはそんなに厳密な意味じゃありません。
日常言われている程度の「神」という意味を用いて、
前述のような神ならいらんといったまでです。
>神は自ら戦争を実力で抑止しない。
見えない聞こえない触れない姿がない力が使えない、それでは幽霊と同じ。
>神は(人種・性別その他)差別を黙認している。
傍観者も同罪です。
>神は人間にだけ道具・技術の知能を与えたにもかかわらず、
>科学技術・医療技術を発展させ人口増加で貧民・餓死者を出すのを容認し、
>自然破壊のツケを人類絶滅(?)と言う形で責任を取らせようとしている。
人間使ってたまごっち。創造神と破壊神?ふざけるな。命はゲームじゃない。
>絶滅危惧種を生態系が崩壊しないように救ったりもしない。
人間の方がよっぽど救いの神と言えますね。
って言いたかったんです。
葉蔵 (2003/06/15(Sun) 08:49:05)
「宗教」と呼ばれるものは土着の信仰から新興宗教と呼ばれているものまで広範囲です。例えば日本においては山岳信仰や太陽信仰に代表される自然崇拝に根ざした古神道的価値観もあります。これは謂わば道徳でさえありえます。反面、顕在する教祖などを崇拝するものも在るのも事実です。さらに尊敬する父を規範として生きる生き方を父への信仰とする宗教ということもできますし、医師への依頼心をも宗教のように規定することも可能です。「創造の神」も「破壊の神」も存在できます。以上は人間個個の「定義」です。
繰り返しますが「宗教」の「定義」が問題なのですね。
しかし「既成された概念」では「宗教」というものを「普遍的」には定義づけられません。
「辞書」の定義によってロッキーさんは神を救いの神であるとし、それを具体例から否定しました。その上で「なぐさめ」云々という観点に「宗教」の余地を認められたわけです。
そして「辞書」の定義によってぼくは「超越的絶対者」の人間による認識が不可能なことを説きました。
このように「辞書」による定義から導き出される観念は人間個個により種々のものとなります。
実をいうと今日までにぼくは宗教に関して宗教討論サイトなどで多大な議論や討論をしてきたのですが、つまるところやはり「定義」など立てられないというのが宗教に関しての実感です。無論、辞書をはじめとして書物もかなり読みましたが。
時間が空いたので、ここを訪れてつい書き込みをしてしまい、さらにぼくの名前が挙げられていたのでさらなる書き込みをしてしまった次第ですが、次にいつ来られるかが判明できないので最後にぼく個人の「宗教」観を書きますけれども、ほぼロッキーさんと同じです。「人間生活の究極的な意味を明らかにしようとし、なぐさめ・安心・幸福を得ようとすることやその教え」というような観点です。それをぼくも悪いことだとは思いません。ぼくの場合には「やすらぎ」という表現を使います。しかしながら、この範疇に入らない「宗教」が存在するのも事実です。「十人十色はなし」ということですが、「十人十色」を前提としなくても、そういう収束になるのが「宗教」というものの自然であるとぼくは思います。ですから自分を信仰してもよいですし、その信仰の対象というものも「十色」でよいと思います。
そういう「宗教」に関して、ぼくは意見は書きましたが、議論するつもりは皆無です。
以上。
BBQ (2003/06/15(Sun) 15:33:43)
「宗教」とは「自分ではどうしようもないことに関して頼るためのもの」だと思います。
世間的に「宗教」とは思われていなくても、その延長線上に存在するものが数多くあると思うんですね。
星占い、ラッキーナンバー(カラー、アイテム)、ジンクス、等々・・・
特にジンクスは「偶然起こった事」を「絶対起こる(または起こりやすい)事」と錯覚してしまうもので、これに全く干渉しない人はまずいないと思います。
例えば自分が気に入っている帽子を外出時に常にかぶっている人が、
「偶然」その帽子をかぶらずに外出した時、交通事故に遭ったとします。
その人は次から外出する時には必ずその帽子をかぶるでしょう。
もっと簡単な例を出します。
「右」と「左」のうち一方が「当たり」、もう一方が「はずれ」のくじがあるとします。
くじを引くたびに「当たり」と「はずれ」はランダムに変わります。
今まで10回引いたところ、「偶然」、「右」が10回中10回とも「当たり」でした。
さて、次にどちらかを引くとしたら「右」を選びますよね?
このように、「宗教」は信仰していなくても、「宗教」の延長線上にあるものを全く信じない人はいないと思います。
(全く信じない方がいましたらレスをお願いします。)
なので、「無宗教」も「宗教信者」と大して変わらない。これが僕の考えです。
ロッキー (2003/06/15(Sun) 17:44:26)
葉蔵さんは賢いお方なんだろうけど、僕の言っていることは理解してくれないですね。
>そういう「宗教」に関して、ぼくは意見は書きましたが、議論するつもりは皆無です。
それでは一方的に喋ります。せめて強制的な誤解は解きたいですからね。
>「辞書」の定義によってロッキーさんは神を救いの神であるとし、それを具体例から否定しました。
ちょっと待ってください。
葉蔵さん勝手に決めないでください。
神については辞書の定義に基づいてません。
普段の生活で使われている意味での神だって言ったでしょう。
>その上で「なぐさめ」云々という観点に「宗教」の余地を認められたわけです。
僕の辞書には神仏または云々と書いてあったから、
神を信じてなくても仏を信じればいいし超越的絶対者だって今後どうなるかわかりませんよ。
『神仏「または」超越的絶対者』=『神or仏or超越的絶対者』のどれかを
信じればいいんですから無「神」論者は宗教を信じるのは可能だっていったんですよ。
不崇主義者というのは蒼鉛さんが言ってた事で、僕の主義ではありません。
何で『その上で「なぐさめ」云々という観点に「宗教」の余地を認められたわけです』
になるんですか?
余地=残された場所を認めるというのはそれ以外の神とかは認めないということですよね。
世に言う神を否定しただけでその他のものまで否定したことになるんですか。
葉蔵さんが引き合いに出して言う「辞書」の「定義」には神=超越的絶対者なんて書いてませんよ。
僕自身は宗教について興味ないから教義なんかも知らないし、
あなたみたいに人に宗教を説く自信はないんですよ。
僕は冷血非道な神を信じたくありませんがいたとしても否定しません。
口を酸っぱくして言いますがね、辞書はみなさんへの参考資料で、
僕は神というのは世間一般で使う意味でしか使っていません。
だから詳しい教義による「神」の「定義」は知りません。
創造神と破壊神というのにかこつけて生物の悲劇的歴史を正当化するなと言ったんです。
そもそも宗教を概念で論じ、理解せよなんて言い出したのは何を隠そうあなた自身で、
別に僕が付き合って巻き込まれる義理ないですよ。
>そして「辞書」の定義によってぼくは「超越的絶対者」の人間による認識が不可能なことを説きました。
論破したとご満悦ですか。プライドも程ほどに遊ばせ。
以上、風車に向かって戦う狂った騎士、ドン・キホーテでした。
※少し口調を改めました。内容が変わっていないことをご確認ください。
タブー (2003/06/15(Sun) 17:58:58)
喧嘩はよしてください。こんな白熱すると思ってませんでした。
皆さんの意見とても参考また、共感する所が多々ありました。
自分なりの思いがあってとてもよかったです。
最後に一言。
自分なりの哲学をつくってください。
ではおしまい。
ロッキー (2003/06/15(Sun) 18:47:27)
タブーさん、みなさん、すみませんでしたm(__)m
葉蔵 (2003/06/16(Mon) 13:29:39)
「済」ということで、この話題に関してはぼくの発言も終了しましょう。
いろいろな意味で最も忌避しなければならないと自明している状況を作ることに自らも加担してしまったことに非常に後悔するとともに、自らを貶めてしまった後悔も強いです。
タブーさん、それからここをご覧になった方々に陳謝します。ごめんなさい。
サージョ (2003/06/17(Tue) 13:39:07)
すんだことを蒸し貸すようで申し訳ないですが・・
失礼ですがBBQさんの見解には間違ったところがあると思います
>「右」と「左」のうち一方が「当たり」、もう一方が「はずれ」のくじがあるとします。
>くじを引くたびに「当たり」と「はずれ」はランダムに変わります。
>今まで10回引いたところ、「偶然」、「右」が10回中10回とも「当たり」でした。
>さて、次にどちらかを引くとしたら「右」を選びますよね?
とのことですが、
まず、右か左が出る確率は2分の1。
そして2回ひいて2回とも右が出る確率は
右・右 右・左 左・右 左・左
で4分の1。
この要領で、3回連続は8分の1、4回連続は16分の1・・と考えていくと
11回中11回とも右が出る確率は 2048分の1とかなり低いです。
だから、私ならば左を選びますね。
とはいっても、
>「宗教」は信仰していなくても、「宗教」の延長線上にあるものを全く信じない人はいないと思います。
という意見には賛成です。ただ、BBQさんの例えが間違っている事が指摘したかっただけですので、どうか気分を害さないで下さいね(^^;)
もしかしたら私のほうが間違っているかもしれない(汗)
もし私の間違いに気付いたらレスお願いしますね。
ロッキー (2003/06/17(Tue) 14:02:52)
え〜と、上がってしまったうえに今度は違うことで討論が起きそうなので、
僕の発言はせめて言葉使いだけは丁寧に直しておきますね。
丁寧語でない通常の言葉使いを掲示板で見ると不快を感じる方もおられると思います。
別に罵倒したわけでは無いですから、内容そのものは変えません。
BBQ (2003/06/17(Tue) 17:05:19)
>11回中11回とも右が出る確率は 2048分の1とかなり低いです。
それは違います。現在の時点ですでに10回「当たり」が出ているのですよ。
その事実と「次に当たるのはどちらか」は全く関係しません。
つまり確率なら1/2で、どちらを選んでも同じはずですが、右を選びたくなる人が多いのではないかと思う、という話です。
ご理解頂けたでしょうか?
サージョ (2003/06/17(Tue) 17:15:58)
なるほど!
納得しました。BBQさん有難う御座います(^^)
※ 問題中に使用されている人名、地域名、会社名、組織名、製品名、イベントなどは架空のものであり、実在に存在するものを示すものではありません。